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【レポート】導入事例から学ぶ!いろいろなCMSの特徴 〜苦労話も聞かせてください〜(CMS SUNDAY vol.7)

MTRL KYOTO より

本レポートは、MTRL KYOTOで開催された「CMS SUNDAY vol.7」のレポートです。vol.6以前の開催内容とそのレポートは、こちらからご覧いただけます。

数あるCMS(コンテンツ・マネジメント・システム)を横断し、開発者のノウハウを共有するためのミートアップイベント「CMS SUNDAY」。東京・渋谷で過去6回開催してきましたが、第7回目となる今回、「MTRL KYOTO」で開催しました。

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テーマは、「いろいろなCMSの特徴 〜苦労話も聞かせてください〜」

concrete5、Drupal、Movable Type、TYPO3のエバンジェリストといえる方々に集まっていただき、事例を含めてCMSの特徴をお話いただきました。
イベントについてはこちらから。

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進行を務めたのは、ロフトワークのテクニカルディレクター、川竹 敏晴。(中央)

concrete5 CMS「運用」ケーススタディ

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コンクリートファイブジャパン株式会社 菱川 拓郎 様

ブロックを積み上げていく感覚でページを作成する、直感的で分かりやすい「concrete5」

個人的に、ここ数年でよく扱うCMSのひとつになりましたが、必ずしも直感的で分かりやすいことだけが理由ではありません。企業のウェブサイトを運用する上で必要な機能が揃っているオープンソースCMSはあまりないからです。
機能が揃っているのかで見てしまうと、なんでもできるマッチョなCMSが必要と思われがちです。しかし「運用ファースト」で考えると、運用に余計な機能を持たないCMSが必要ということが見えてきます。

もう、巨大戦艦をおく時代ではないのでしょう。

菱川さんのイベントレポートはこちらから

TYPO3 多言語サイト構築事例から学ぶ

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株式会社ヒューマンオーク 奥村 英史 様

対訳式の編集画面が印象的な「TYPO3」

多言語サイトが構築しやすいCMSを探してるとき(今も探してます)に、CMS大阪夏祭り 2015の TYPO3 ブースに座いた奥村さんにお話を伺って興味を持ったのですが、もっと詳しくTYPO3のことを教えてほしくて登壇をお願いしました。

習得に1週間はかかるTypoScriptという独自言語でテンプレートを書かないといけない「ドS」なCMS。
しかし、対訳式のインターフェースを持ったエンタープライズ向けのオープンソースCMSを使いこなすには、そのくらいの学習コストは払って当然かもしれません。なぜなら、同じような対訳式のインターフェースを持つエンタープライズ向けの商用CMSを知っていますが、学習コストだけでなくライセンス費も「ドS」ですから。

奥村さんのイベントレポートはこちらから

Drupalの考え方

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ANNAI Inc 紀野 惠 様

ホワイトハウスやオーストラリア政府のウェブサイトに採用されている「Drupal」

さまざまなCMSをユーザー、開発者として利用していく中でDrupalに出会った紀野さん。
MTDDC MeetUp 2014のCMS座談会に出演されたときにも、相当な数のCMSのプログラムソースまでチェックして、その中からDrupalを選んだと仰っていました。しかし、Drupalはインストールして、すぐにCMSとして使える状態ではなく、「DrupalはCMSじゃなかった」そうです。CMSというよりフレームワークというべきもので、だからこそCMSという枠に収まらないような様々なジャンルにも導入することができるのが強みです。

Movable Type プロの技、見せます。

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アルファサード株式会社 野田 純生 様

「もう、MTでいいじゃん」
ある有名なウェブサイトのCMS導入案件を例に、プロの技を見せつける野田さん。
クライアントの要望を実現するために、プラグインで機能拡張したり、カスタマイズすることは当然ありますが、CMSの管理画面をカスタマイズして不要なメニューを削除するなど、運用のしやすさまで追求されては、ぐうの音も出ません。
それを、多言語対応もアクセシビリティ対応も、いろいろ大変な、あのウェブサイトのリニューアルでやってしまうのだから…

CMSサイコロトーク

SHIRASAGI 株式会社ウェブチップス 野原 直一 様が、前日にインフルエンザにかかってしまい、SHIRASAGIのセッションはキャンセルとなりましたが、代わりに登壇者全員による「CMSサイコロトーク」を敢行。

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登壇者のみなさんに、CMSとの出会い、馴れ初め、どこに惚れたのか、言いたいこと、ほめてあげたいことを伺いました。

全体を通して気がついたことですが、 登壇者のみなさんに共通していることがありました。

それは、いくつものCMSを比較・検討した上で、ひとつのCMSを選択していることです。

他のCMSを勉強する暇があったら、ひとつのCMSに集中した方がいいという言葉も出ましたが、
最近、CMSがたくさんあることを知らない人が増えていることに不安を感じています。
自分に合ったCMSを選んで、そのCMSに集中するためにも、いろいろなCMSがあることを知ってほしい思います。

(text : Loftwrok 川竹敏晴)

数あるCMSについてもっと知りたい方へ

ひとことでCMSといっても、その生い立ちはさまざまです。
CMSのことをもっと知りたいという方がいたら、その生い立ちから調べてみてはいかがでしょう。
どんな経緯でCMSが生まれたのか、そもそもの開発思想が見えてくるかもしれません。

Movable Type

Six Apartの共同創設者のMena Trottです。2001年の春、サンフランシスコでデザインワークをしていた時にDollarshort(ダラーショート)という風変わりなブログを始めました。夫のBenと私は、高校の時に出会って、2000年代に起こったインターネットバブルに影響はされなかったようですが小さなWebデザインファームで働いていました。私にとってDollarshortはクリエイティブなはけ口で、子ども時代の逸話を伝えたり、日常のユーモアを描き出したり、トラディショナルに見つけた面白いサイトのリンクをキープしたりする場所でした。

2001年の9月に、Benと私が働いていた小さなWebデザインスタジオが倒産してしまい、私たちにはいきなり自由な時間ができました。同時に、Dollarshortは人気に成長していて、私が使っていたウェブログのソフトウェアでは窮屈に感じました。新しい仕事探しに向き合う中で、Benと私は少し休みを取って、これから友人にシェアするであろう自分たちのウェブログツールを開発することにしたのです。9月に私は、Movable Typeを(私たちが)リリースすることを発表しました。(もともとの名前はフランスの歌手のSerge Gainsbourgからとって、Sergeでした。)そして1か月後の2001年10月8日、バージョン1.0がダウンロードできるようになりました。
Movable Typeをリリースする朝、Benと私は緊張しながらコンピュータの前に座り、Movable Typeの一般公開のために指を準備していました。私たちは、ソフトウェアデベロップメントの世界に飛び込む準備ができているのか?ユーザーをサポートできるのか?Movable Typeを発展させて、本業もサポートしていくことができるのか。最も重要なことは、Benと私は一度Movable Typeをリリースした後は、それを発展することに集中するとわかっていたことです。もう後戻りすることはできません、私たちはウェブサイトを始めました。すると、最初の1時間で100人以上がソフトウェアをダウンロードしたのです。

米Six Apart社の「Six Apartの歴史」より抜粋
「Six Apartの歴史」(原文・英語)
訳 : 荒木 彩音

WordPress

10年という節目に、始まりを振り返ってみるのも楽しいものです。WordPress をリリースしたのは2003年5月27日でしたが、それが本当の始まりだったわけではありません。もっと前に遡れば、そのころあったセルフホスティング型ブログプラットフォームにフラストレーションを感じていたミッシェル・ヴァルドリッヒが自分のソフトウェアを書くことにしたのが発端です。彼は「PHP+MySQL を使った、Blogger・GreyMatter の代替案」として b2 を開発しました。b2 は簡単にインストール・設定でき、開発者が拡張するのも簡単でした。そのころあった多くのブログソフトウェアのうち、b2 は僕に合っていました。コンテンツを書いて、すばやく楽に Web に公開できたからです。
時に、人生というのはプロジェクトの邪魔をすることもあります。2002年に、ミッシェルは b2 のメンテナンスをやめてしまいました。時間が経つにつれてセキュリテイ上の問題が明らかになり、アップデートが必要になってきました。b2 コミュニティがパッチや修正を作成することもできたのですが、誰もこのソフトウェアプロジェクトを前に進めていこうとする人がいませんでした。ミッシェルが b2 を GPL ライセンスでリリースするよう決めてくれたことは、僕らにとってラッキーでした。ソフトウェア自体が見捨てられてしまっても、オプションがなくなってしまうわけではないからです。可能性が常にあったのです。僕が b2 をフォークすることについてブログを書き、マイクがコメントしてくれた 2003年1月の状況は、そんな感じでした。それから先のことは、いわゆる「歴史」となりました。

Matt Mullenweg が書いた WordPress.org 公式ブログの記事「すばらしき10年間」より抜粋
「すばらしき10年間」(日本語訳)(原文・英語)

concrete5

concrete5(コンクリートファイブ)のはじまりは、Franz Maruna(フランツ・マルナ)とAndrew Embler(アンドリュー・エンブラー)との出会いから始まります。80年代、地元の電子掲示板(BBS)でコンピュータネットワークの洗礼を受けて育ちました。二人とも、テクノロジーとデザインに関して強い興味があり、インターネットとウェブサイト産業が始まると同時に、ウェブの世界にのめり込んで行きました。
二人は、オレゴン州ポートランドの地元代理店によるプロジェクトで働いているときに出会いました。二人は意気投合し、共にウェブのコンサルティングやプロジェクトを進めて行き、その関係は10年以上に及びます。
小さい「普通」のインタラクティブメディアスタジオを切り盛りしているとき、フランツは、地元の広告代理店がアメリカの公共広告機構(AdCouncil)から受注した、「ルイス=クラーク探検隊200周年記念祭」のサイト制作の仕事を請け負いました。
3ヶ月にわたるこの巨大プロジェクトは、90人もの、大学教授、ネイティブアメリカン関係者、観光局などの関係者がサイト制作に携わり、様々な視点を持つ人々の考えがぶつかり合うプロジェクトでした。
こういった環境の中、古いウェブデザインのコンセプト、「コンセプト」ー「納入」ー「変更」のシンプルなワークフローが全く役に立たないことに、彼らはプロジェクト開始後、一週間で気づくことになります。
もっと柔軟に、そしてプロジェクトの期限内に、作業を進める必要がありました。
こうして、Concrete CMSが生まれました。
すべてゼロからのスタートでした。PHP4をベースに、当時のメジャーなCMSである、Mambo、TeamsiteやStoryServerにあった制約を取り除き、以下の3つのルールでサイト運用ができるシステムを開発しました。
簡単に – マイクロソフトのWordを使いこなせる人なら、簡単にサイト運用が出来る事。
柔軟に – 数々の大手代理店の下で働いて来た彼らは、従来のCMSが、広告代理店が要求する柔軟性に対応する事が出来なかったことを知っています。それらの技術的な限界をなくし、クライアントが自由に意思決定とサイト運営が出来るようにすること。
堅固に – AdCouncilは、全米でテレビコマーシャルを放映する予定で、サイトは秒間1万人ほどの訪問者が来ると予想されました。
こうして、Concrete CMSを使ったサイトの第一号である「ルイス=クラーク探検隊200周年記念祭」のサイトが完成しました。

concrete5日本語公式サイト「concrete5の歴史」より抜粋
「concrete5の歴史」(日本語訳)(英語・原文)

TYPO3

TYPO3は、1997年にデンマーク人のデベロッパーであるKasper Skarhoj(カスパ スカーホイ)によって独自に開発されました。「コンテンツマネージメント」という言葉はまだ広く知られていませんでしたが、ウェブサイトはますます複雑化していました。デザインとコンテンツが分かれたシステム、という考え方は新たな問題を解決するのにいい解決策だったのです。
KasperはもうTYPO3を開発していませんが、イベントでコミュニティーと会い、インスパイアし続けています。

「The History of TYPO3」(原文・英語)
訳 : 荒木 彩音

もっと詳しい話を知りたい方は、こちら。(英語)

Drupal

2000年、アントワープ大学の二人の学生のDries Buytaert と Hans Snijderは信頼できるインターネットコネクションが必要でした。しかし、アントワープの学生にとって常時接続のインターネットは珍しいものだったので、DriesとHansは、8人の学生でシェアしていたHansのADSLで無線ブリッジをセットアップしました。それは正常に機能しましたが、何かが足りないような気がしたのです。それは、他者と語り合う場所でした。
Driesはその足りない何かを、チャンスに変えたのです。彼はウェブボードで小さなニュースサイトを始めました。彼と彼の友人たちは、どこで夕食を食べるかや、興味深いニュースなどのノートをネットワークに投稿することができるようになりました。彼らは小さなコンテンツのフレームワークを作ったのです。
少しの間、彼らが構築したソフトウェアには名前がありませんでした。しかし、Driesが卒寮したとき、お互いに連絡を取り合う手段が必要になったので、内部のサイトをオンラインにすることにしました。良いドメイン名を探しているとき、Driesはdorp.orgを思いつきました。”Dorp”はオランダ語で、”村”を意味するので、彼らが作った小さなコミュニティに合っていると思ったのです。
Driesが”dorp.org”が誰にも使われていないか調べていると、彼は間違って”dorp”を”drop”と打ってしまいました。その失敗が、そのまま留まったのです。一度 drop.orgがウェブに出ると、利用者は変わりました。drop.orgは新しいメンバーを魅了し、彼らは、モデレーションやシンジケーション、レーティング、分散認証などの、新しいウェブテクノロジーについて話し始めました。Drop.orgは少しずつ、変幻自在のアイディアが溢れ出る会話によって、個人的な実験環境になっていきました。これらのアイデアは将来的にdrop.orgを動かすソフトウエアの基礎になりました。
2001年の1月、ドリーはついにソフトウェアをdrop.orgにリリースしようと決めました。その目的は、多くの人々が使い、実験の場をひろげることによって、より多くの人々がウェブ発展の道を探究できるようにすることでした。彼はそのソフトウェアをオランダ語で”しずく”を意味する”druppel”を英語の発音にした、”Drupal”と呼びました。

Drupal公式サイト「私たちの歴史」から抜粋
「私たちの歴史」(英語・原文)
訳 : 荒木 彩音

SIRASAGI

話は遡りますが、私と谷沢(CTO)は、元々アイ・ディ・エスという会社(現在はサイトブリッジ)で、徳島県と共同開発したオープンソースCMS「Joruri CMS」というものを開発、導入していました。
しかし、オープンソースとはいえ、徳島県内の企業はほとんど利用しておらず、Joruri 案件があれば、アイ・ディ・エスが受注するという状況でした。そのため、仕事が欲しいということもあり、できるだけJoruriがからむように案件を作っていきました。
一方で、県外にはJoruriを直接導入していっており、地域のベンダーとは対立関係(一部協業)を築いてしまい、ライセンスがGPLということもあり、オープンソースであるのにもかかわらず、やっていることはどんどんクローズになっていきました。
結果、プルリクエストも発生せず、オープンソースの利点を生かせない状況におちいっていきました。
私は、かねてから、国内には様々なオープンソースを利用している会社があるが、海外の製品をカスタマイズして導入し、それっきりという案件が多いことを非常に残念に思っていました。言語の違いもありなかなかオープンソースの恩恵をフィードバックできていないと感じていました。
それなら、言語の壁のない国内で本当のオープンソースビジネスをやれないかと考え、谷沢と共に、アイ・ディ・エスを辞めて、ウェブチップスという会社を立ち上げました。
目標は、本当の意味でのオープンソースビジネスを日本国内に体現することです。もちろん、海外にも展開できればとも考えています。
Joruriを開発したときに、多くの問題に気づいていましたが、バージョンアップが上位互換ということで、設計的に諦めていた要望を、このSIRASAGIで実現したい。そして、単純にSIRASAGIを開発するだけではなく、何か新しいことに挑戦しながら開発したいという想いからNoSQLを採用し、参照系(情報系)システムに特化したCMS(実際にはWebアプリ開発プラットフォーム)としてスタートしました。そして、地域のベンダーと協業しながらSIRASAGIを育てていくというビジネスモデルに挑戦することに決めました。

株式会社ウェブチップス野原さんの談話より